サラリーマン時代、2時間通勤を5年間してた件

東急建設に勤めていた時、結婚後川崎市の宮崎台にあった社宅に住んでいた。宮崎台ドエル。新しくはないマンションタイプで2DK。エアコンも無く最上階でなおさら暑かった。社宅に入る前に危惧していた近所付き合いは特に問題なく、仕事上面識のある他部署の上司や先輩とエレベーターで遭遇することも少なかった。

3年ぐらい経った時だろうか、妻がそろそろ家を持ちたいということで探し始めた。世の中はバブルの余波が残っており、手が届きそうな物件は都心から東や西にかなり離れた場所にしかない。公団住宅にも何度か申し込んだけど抽選にもれ諦め始めていた時に流山市の一戸建を知り申し込んだ。でもやはり落選。その一戸建を見に行った時に、ついでにマンションの物件も見学した。値段は一戸建と同じくらい。気に入った部屋はすでに仮予約が入っていたということだったが、その後電話がありキャンセルになったということであれよあれよとそのマンションに住むことになってしまった。

当時勤務地は渋谷か宮崎台。宮崎台だったかなあ?よく覚えてないけど、流山市から通うと、流山線から常磐線、千代田線、半蔵門線、そして田園都市線と乗り継いで2時間の通勤時間。宮崎台の部署に横須賀から通ってる上司がいて、毎日2時間通勤をしていたので自分もできるだろうということもあった。

乗り換えは2回だけど、馬橋駅から表参道駅までは1時間近かったはず。朝は6時半に家を出ていた。千代田線でもっと遠方から通う人もたくさんいるので当然朝は座れない。渋谷からは逆方向になるので座れる。

問題は帰り。6時にオフィスを離れても家にたどり着くのは8時。飲み会は終電が気になって楽しめない。そして表参道からの約1時間は本当に最初お尻が痛かった。よく覚えてないけど、読書して過ごした思い出はない。寝てたんだろうな。

そして一番の苦痛は、帰りに表参道で座れるかどうかのストレスだった。ほとんど座れたんだが、座れない時もあり、そんな時はめちゃくちゃ嫌になるわけだ。時には席争いでトラブルめいたこともあった。

座れなくても途中で席を確保できる可能性もある。5年もそういうシチュエーションを経験するとなんとなく途中で降りる人が分かるようになってくる。例えば外国人。そういう人に狙いを定めてその前に立つのである。

行きは足の踏み場もないような満員電車に自らの体を押し込み。帰りは座れるかどうかの言わば恐怖心との戦い。よく5年間も遠距離通勤できたものだ。5年の後、東急建設を去った。

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